飯盛山

【白虎隊十九士の墓】【白虎隊記念館】【さざえ堂】【厳島神社】【宇賀神堂】などのスポットがある飯盛山

【白虎隊十九士の墓】
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。
春と秋の年2回行われる墓前祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。

【白虎隊記念館】
昭和31年に会津出身の弁護士、故・早川喜代次氏によって創立された史料館。戊辰戦争における白虎隊をはじめとする会津藩の悲劇を後世に正しく伝えたいという思いから、私財を投じて作られました。白虎隊以外にも戊辰戦争関係の様々な史料(遺品、遺墨、写真)などやジオラマなどを展示しています。
新撰組の近藤勇、島田魁、西軍総督岩倉具定、板垣退助らの有名諸将などの史料もあり、歴史ファンには必見です。
[TEL]0242-24-9170 
[営業時間]8:00~17:00(4月~11月)/9:00~16:00(12月~3月) 

【さざえ堂】
会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。
当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。
平成8年に国重要文化財に指定されました。

【厳島神社】
厳島神社は古くから信仰の対象となっていた神社で永徳年間(1381~83年)に石塚、石部、堂家の3家が宗像三女神である市杵島姫命の分霊を勧請し社殿を建立したのが始まりと伝えられています。

【宇賀神堂】
五穀豊穣の神、宇賀神(白蛇)をお祭りしています。
寛文年間(1661年~1672年)、松平正容が厳島神社の傍社として建設され、現在は明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られております。

【営業時間】8:15 〜 日没 (4月〜12月)/9:00 〜 日没 (1月〜3月)  【定休日】無休

【アクセス】バス:まちなか周遊バス ハイカラさん・あかべぇ「飯盛山下」下車徒歩約5分/車:磐越自動車道「会津若松IC」より約15分

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